「東京マラソンの継承」―20回をつなぐレースディレクターのバトン―
第1回目となる2007年から約20年の時をかけてつくられてきた東京マラソン。それは単なる大会の歴史ではなく、人から人へと受け継がれてきた想いの積み重ねでもある。
その象徴のひとつが、レースディレクターという役割だ。大会の価値を体現し、次の時代へとつないでいく存在。東京マラソン財団理事長・早野忠昭から、レースディレクター・大嶋康弘へ――このバトンには、何が託され、どのように受け継がれてきたのか。
20回記念大会という節目を前に、この、「東京マラソンをきっかけに、人生が動き出した。」をテーマにお届けするインタビューリレー3rd Runの第1回目では、約20年の歴史の中で人や大会が動き出してきた瞬間をたどりながら、その想いが次の世代へどのように受け継がれてきたのかに迫ります。
東京マラソンは独自の進化を遂げてきた

――はじめに、東京マラソンはどのような目的で始まったのでしょうか?
早野 もともと東京には青梅マラソンなどの市民マラソンはありましたが、ニューヨークシティマラソンやロンドンマラソンのように、東京という大都市を代表するマラソン大会がなかった。そこで当時の石原慎太郎都知事の発案で、世界レベルの大会を作ることを目指したのが東京マラソンの始まりです。
ただ、誰も3万名規模のマラソン大会を運営した経験がありませんでしたから、最初はかなり手探りで、組織全体のベクトルを合わせるのに苦心する状態でした。日本陸上競技連盟、東京都、広告代理店で立ち上げた組織委員会も試行錯誤の連続で現在のアボット・ワールドマラソンメジャーズ(AbbottWMM)を構成する各大会を視察し、それぞれの良いところを取り入れながら、2010年に東京マラソン財団を設立しました。
当時、私は事務局長を務め、その後レースディレクターとして、どんなレースを作るべきかを考えてきました。グローバルスタンダードのレースとは何か、市民マラソンとは何か、エリートレースとは何か。そして、日本におけるオリンピック選考会としてどうあるべきか。そうした要素を取り込みながら、東京マラソンは独自の進化を遂げてきた大会だと思っています。
――東京マラソンのレースディレクターはどのような役割なのでしょうか?
早野 基本的にはレースを作る人です。今は大嶋君に引き継ぎましたが、東京マラソン全体の責任者がレースディレクターになります。エリートレースだけでなく、一般ランナーの部も含め、大会全体に責任を持つ立場です。
――これまでレースディレクターとして大切にしてきた思いを教えてください。
早野 それまで日本のマラソン大会は、オリンピックや世界陸上の代表選考という意味合いが強く、エリート選手中心の大会でした。一方、東京マラソンが目指したのはニューヨークシティマラソンやロンドンマラソンです。これらは裾野が広く、なおかつ頂点も高い大会でした。
東京マラソンが始まった当初は優勝タイムも2時間9分台で、「市民マラソンとしては素晴らしいけれど、エリートレースとしては物足りない」という声もありました。そこで、世界トップレベルの選手に選ばれる大会となるため、マーケティングやパートナーシップにも力を入れてきました。その結果、今では優勝タイムが2時間1分台に迫る、世界トップレベルの大会へと成長しています。
一方で、一般ランナーについても、「また参加したい」と思っていただけるよう、一人ひとりのストーリーを大切にする大会でありたい。その思いは今も変わりません。裾野の広さと世界最高峰の競技レベル、その両方を兼ね備えた大会を目指し続けています。
――そうした思いから、「東京がひとつになる日。」というキャッチコピーも生まれたのですね。
早野 2007年の第1回大会が終わった後、「コンセプトが少し分かりづらい」という声もありました。それなら、もっと東京マラソンらしいコンセプトを作ろうと思い、レースの映像を何度も見返していたんです。すると、ランナーだけではなく、沿道で応援する人、ボランティア、スタッフ……大会に関わる全ての人を見ていて、「ああ、これは東京がひとつになる日。なんだな」と自然に頭に浮かびました。
一人ひとりにそれぞれのレースがあり、それぞれのストーリーがあります。でも、一歩引いて大会全体を見ると、東京という街がひとつになっている。その全体を包み込む言葉として、「東京がひとつになる日。」はこれからも変わらないコンセプトだと思っています。
東京マラソンで受け継がれていくこと

――大嶋さんにレースディレクターを継承するにあたり、早野理事長はどのようなことを期待されていましたか?
早野 専門性以上に大切なのは、AbbottWMMとの関係や東京マラソンに対する思いです。日本陸連や東京都、パートナー企業と連携しながら収益も生み出さなければいけませんし、グローバルスタンダードのレースを維持しながら国内大会との関係も築いていく。そうしたことを総合的に考えられる力が必要です。それほどレースディレクターは責任の重い仕事ですし、エリートランナーだけではなく、一般ランナー一人ひとりにも責任があります。だからこそ、その覚悟については就任後にも何度か話をしました。もちろん、良いレースディレクターになってほしいという思いからです。
もう一つ、変えてほしくないことがあります。それは、日本の大会だからといって日本人選手だけにスポットライトを当て、グローバルスタンダードから外れてしまうことです。東京マラソンの価値は、世界最高峰のレベルの中で、日本人選手がオリンピックや世界選手権の代表を目指して挑戦できる舞台であること。その姿勢だけは変えず、日本人選手にメッセージを送り続けてほしいと思っています。

大嶋 私が就任した時には、すでにエリウド・キプチョゲ選手をはじめ世界のトップランナーが集まり、エリート部門では世界有数の高速レースが繰り広げられる大会になっていました。その方向性はしっかり受け継いでいかなければいけないと思っています。
そして大会運営においては、安全性が最優先事項だと思っています。もちろん、事故を100%防ぐことは難しいですが、この安全への取り組みは、これからもしっかり受け継いでいきたいと思っています。
また、主役はランナーだけではありません。この大会は本当に多くの人たちによって成り立っています。東京マラソン財団の職員はもちろん、ボランティアの皆さん、沿道で応援してくださる方々、警察や消防など、皆さんが協力し合うことで、「東京がひとつになる日。」が実現している。だからこそ、大会が終わった時に、「今日、東京マラソンに関われて良かった」とすべての人が心から思える大会にしていきたいと考えています。
新しい時代の変化に合わせた東京マラソン

――これから迎える新しい時代の変化に合わせて、東京マラソンでやっていきたいことは何かありますか?
大嶋 今、世界的にランニングブームと言われ、ロンドンマラソン、ニューヨークシティマラソンなどAbbottWMMの各大会が5万名規模を意識しています。
それだけ多くの人が、自分自身が主役になれる舞台を求めているということでもあるのでしょう。せっかく東京マラソンに出場していただく以上、「走って良かった」と思っていただけるランナーを一人でも増やしたい。そのためにも、現在約4万名の参加者を、将来的にはもう少し増やしていきたいと考えています。
また、エリートレースでは世界トップレベルの記録が出ていますが、東京マラソンではまだ世界記録が誕生していません。近い将来、東京から世界記録が生まれる大会にしたいという思いも強く持っています。
早野 マーケティングをさらに強化し、世界トップクラスの選手を招き、世界記録、日本記録が次々と生まれるような大会を目指してほしいと、理事長として期待しています。
――今後はテクノロジーもさらに発展していくと思います。レースディレクターとしては、どのように向き合っていきますか。
大嶋 ロンドンマラソンではエントリーシステムにAIを活用していると聞いていますし、シカゴでも同様の仕組みを導入するそうです。東京マラソンでもさまざまな検討を進めていますので、今後はこうしたテクノロジーの活用がますます増えていくと思っています。
また、アメリカやヨーロッパでは若い世代の参加が非常に多く、ロンドンマラソンやニューヨークシティマラソンでは20代、しかも女性が最も多い参加層だと聞いています。一方で東京マラソンは50代が中心で、20代の参加はまだ少ない。ただ、日本でも夜にグループで走る若い人たちを見かける機会が増えてきました。そうした層へしっかりアプローチするためにも、マーケティングや情報発信の面でテクノロジーを積極的に活用していくことが重要だと考えています。
東京マラソンの価値、それは「人と人とのつながり」

――お二人が考える「東京マラソンの価値」とは何でしょうか?
早野 私たちの役割は、安全・安心で、「また参加したい」と思っていただける舞台を用意し続けることだと思っています。
もう一つ大切なのが、毎年発信してきたメッセージです。「東京がひとつになる日。」という大会の軸は変わりません。その上で、例えば2024大会では「TOKYO, My favorite place…」、2025大会では「SPARK!」、2026大会では「Run. Tokyo. Own.」というテーマを掲げたように、その時代ごとの社会的な価値やメッセージをこれからも発信し続けていきたいと思っています。
大嶋 私が東京マラソンで最も価値を感じているのは、やはり”人”です。運営スタッフだけでなく、ボランティアの皆さん、沿道で応援してくださる方々、警察や消防など、本当に多くの人が強い思いを持って大会を支えてくださっています。
それは約20年にわたって積み重ねてきた大会の理念や思いが、関わる全ての人に受け継がれているからだと思います。この価値は、これからも大切に守り続けていきたいですね。
早野 「人と人とのつながり」こそが東京マラソンのコンセプトそのものだと思っています。大会ロゴをリニューアルした際も、「人と人とのつながり」を色や線の角度、幅で表現しました。それぞれ異なる色が重なり合い、一つのストーリーを描いている。その一員になれたことを誇りに思えるような大会を、これからも続けていきたい。
もちろん、人とのつながりに対する感じ方は、それぞれ違うでしょう。それでも私たちは「東京がひとつになる日。」という理念のもと、人が交わり、それぞれ違う色を持ちながらも一つになって未来へつないでいく。そんな大会をこれからも運営していきたいと思っています。
大嶋 そのつながりは世界へ広がっていくものだと思っています。東京マラソン2026では約3万9000名が参加し、そのほぼ半数が海外ランナーでした。「いつか東京を走りたい」と思ってくださる方もたくさんいて、実際、海外からそのような内容のメールをいただくことがあります。東京マラソンを通じて、人と人とのつながりが世界へ広がっていく。その広がりを思うと、本当に楽しみですね。
これからも「世界一の大会」を目指して

――2027年はいよいよ節目となる20回大会です。どのような大会にしたいと考えていますか?
早野 20回記念大会に向けては、もちろんさまざまな企画を考えています。ただ、私たちが目指すものは変わりません。唯一、さらに求めていきたいのは”広がり”です。スポーツは見るだけでなく、自分自身が参加し、一人ひとりがスポットライトを浴びられるものです。それが健康づくりや街づくり、人づくりにもつながっていく。東京マラソンという場を通じて、その価値を日本だけでなく世界へ発信していきたいと思っています。
これまでの10年、これからの10年というように節目ごとにメッセージは変わっていくでしょう。しかし、安全・安心で、エキサイティングで、あたたかく優しい大会を目指すという軸は変わりません。世界一の大会を目指すという姿勢も、これから先ずっと変わらないと思っています。
大嶋 20回記念大会に向けては、いろいろな構想があります。まだお話しできないことも多いのですが、エリートレースでは皆さんに興味を持っていただけるようなトップ選手を招き、さまざまな取り組みに挑戦したいと思っています。そして20回記念大会が、次の10年、20年を感じてもらえるような大会になればいいですね。未来を少しでもイメージしていただけるような表現ができればと思っています。
――その先の10年後、20年後、あるいは50年後に向けて、どのようなことを継承していきたいですか?
早野 スポーツが一部のエンターテインメントにとどまっている現状には、少し物足りなさも感じています。もっと社会の中心にスポーツがあってほしい。そのためには、業界全体の考え方も変えていく必要があります。東京マラソン財団の理事長として、その価値をこれからも積極的に発信していきたいですね。
大嶋 一番の財産は「人」だと思っています。そして、その人たちが約20年かけて育ててきた、人を思いやる文化や、人と人とのつながりこそが、東京マラソンらしさだと思っています。これから新しい挑戦や変化は続いていくと思いますが、その温かさは変わることなく、次の世代へ継承していきたいですね。それと同時に、スポーツが街づくりの中でどんな役割を果たせるのか。そのヒントを東京マラソンから発信し続けられるような活動にも取り組んでいきたいですね。
――最後に、ランナー、ボランティア、応援する人、支える人など、東京マラソンに関わるすべての皆さんへメッセージをお願いします。
早野 私たちは大会を運営する立場ですが、主役は皆さんです。ランナーはもちろん、これまで走ったことがない方でも、ボランティアとして関われますし、沿道で応援していただくだけでも立派な参加です。私たちは、東京マラソンに関わる入口をこれからも増やし、「Sports for All」という考え方をさらに広げていきたいと思っています。ぜひ皆さんも、それぞれの形で東京マラソンに関わっていただけたら、とても嬉しいですね。
大嶋 私からは一言です。「東京マラソンを楽しんでください」。楽しいからこそ続けられる。楽しいからこそ、その輪は周りの人へ広がっていく。そして、東京マラソンの主役は、一人ひとりの参加者です。ぜひ主役として、この大会を思い切り楽しんでいただきたいと思っています。
人から人へ受け継がれてきた想いは、20回記念大会、そして次の時代へ。東京マラソンをきっかけに、これからも新たな一歩や人生が動き出す瞬間が生まれていきます。
インタビューリレー2026 インタビューリレー対談
「東京マラソン財団 理事長早野忠昭とレースディレクター 大嶋康弘
「東京マラソンをつなぐ二人のリーダー」―レースディレクターのバトンに込めた想い」はこちら▼
https://interview-relay.marathon.tokyo/2026/interview/2026/04/28/1033