2025年 当選者インタビュー|Subroto Bhattacharyaさん
当選したときの気持ちを教えてください。
2025年、私は東京マラソンに挑戦しました。その日は、米マサチューセッツ州の私のクリニックで、食道がんで亡くなった日本人患者の追悼として走りました。しかし、あの日私は不運にも完走を逃しました。3つ目の関門で制限時間に間に合わず、リタイアを余儀なくされたのです。
失意に打ちひしがれる中、父が第二次世界大戦の退役軍人だったので、祈りを捧げるために、私は広島へ向かいました。東京マラソン財団から、インタビューリレーを受けて、2026年大会のエントリーに関するメールが届いたのは、まさにその日のことでした。まさか自分が選ばれるなんて、微塵も思わずに応募しました!4月7日、当選メールが届きました!患者さんとの約束を果たす機会を再びいただけて、計り知れない感謝と喜びを感じたことを覚えています。すぐに、喜んで走らせていただきます、と返事をしました!
東京マラソン2026に向けて、どんな準備や想いで臨みましたか?
東京マラソン2026を走るチャンスをいただいたという特権に加えて、28歳の娘が私を励まし、付き添って一緒に走ると言ってくれたのです!娘はこれまでマラソンを走ったことがありませんでした。彼女は、プラン・インターナショナルのチャリティに応募し、枠を獲得しました。私たちは二人で、マラソンのトレーニング計画を開始し、お互いをサポートし、励まし合いました。11月9日、娘は私と一緒に、人生初となるレース、ボストン・アスレチック・アソシエーション・ハーフマラソンを走りました!それから、東京に向けて冬のトレーニングを開始。準備期間中、娘がサポートし、励ましてくれたことに永遠に感謝しています。彼女は、私がレースでうまくいくよう万全を期してくれました。
レース当日、最も印象に残っている瞬間は何ですか?
驚いたことに、Kブロックのスタートラインに立った私が感じた一番の感情は、安らぎと静寂でした。何かのお告げのように、今回は素晴らしいレースになると確信しました。これが私にとって最後のSix Star制覇となるレースでしたが、不思議とそのことは全く頭にありませんでした。スタートの際、私はこのレースを捧げる私の患者さんに祈りを捧げ、42kmの道のりを見守り、導いてくれるようお願いしました。そして、ネナ・マガラルにも祈りました。私の天使のような無二の親友であり仕事仲間でしたが、2015年に膵臓がんでこの世を去りました。
42.195kmの中で、心が動いた出来事や出会いはありましたか?
鮮明に記憶に残っている出来事が3つあります。1つ目は13マイル(約21キロ)地点で、倒れているランナーに遭遇した時のことです。救護チームが周辺を封鎖し、頭上には医療用ヘリが空中待機していました。医師として「助けなければ」という本能が働きましたが、彼らはプロのチームであり、私が入ることは助けというよりむしろ邪魔になってしまうだろうと気づきました。しかし、レースの残り半分、そのランナーがどうなったのか心配でなりませんでした。幸いなことに、完走後に深刻な事態に陥った方はいなかったと知り、心の底から安堵しました。
2つ目は、38キロ地点の最終関門のすぐ近くでの出来事です。私より30分ほど早く走っていた娘が、折り返しコースの復路で私を見つけ、大声で叫んでくれました。最初は気づきませんでしたが、ついに彼女の姿を捉えました。「お父さん、もう最後の直線だよ!いけるよ!!」と彼女は叫びました。初めてのマラソン、しかも初めてのアボット・ワールドマラソンメジャーズに挑んでいる娘が、自分のレースのことよりも父親のことをあんなに心配してくれていたなんて、信じられない思いでした。二人とも無事に完走し、妻と息子と合流してお祝いをしました。
最後は、42キロ地点での出来事です。フィニッシュまであと200メートルという直線で、私と同じくSix Star Finisherの女性に追いつきました。私が健闘を祈ると、彼女は私のボストン・レッドソックスの帽子に気づき、「ボストンから来たの?」と叫びました。「そうだよ」と答え、どこの出身かと聞かれたので「スワンプスコット(Swampscott)だ」と言いました。すると彼女は「信じられない!私の母もスワンプスコット育ちなの!」と返してきたのです。思わず笑い出してしまいました。東京の街を走るために世界の裏側までやってきて、そこで出会ったアメリカ人が、ただのマサチューセッツ州出身というだけでなく、私が26年間住んでいる町のゆかりの人だったなんて! 彼女は小児がんを克服した元がん患者サバイバーでした。私たちは手を取り合ってフィニッシュラインを越えました。二人にとって、これ以上に記憶に残るフィニッシュはありません。これまでのどんなレースでも、これほど特別な経験をしたことは一度もありませんでした。
東京マラソン2026を通じて、印象に残っている人や出来事があれば教えてください。
ただ一人を選ぶことなどできません。東京、そして日本全体が、私と家族に最高の印象を残してくれました!ランナー全員に向けられた日本の寛大さ、歓迎、そして心遣いは、ただただ信じられないほど素晴らしいものでした。
そして私にとって最も忘れられない瞬間は、帰国後のボストンで訪れました。患者さんの奥様に、亡き夫、マサハル・マブチさんの名誉と追悼のために、レースベストとアスリートビブス、そして完走メダルを贈ることができた時です。今週、メグミ・マブチさんが日本へ向かいました。彼の家族に会い、彼の名前が入ったゼッケンとメダルを形見として手渡すためです。
東京マラソン2026の経験は、あなたにどんな変化をもたらしましたか?
走ることは、私の心の支えとなってきました。一緒にフィニッシュしたローレンという若い女性が、「東京を制覇して、6つ目のスター獲得おめでとう!」と声をかけてくれました。私は微笑みましたが、何も言いませんでした。なぜなら、自分は何も制覇などしていないと分かっていたからです。東京の街と、そして私の患者さんのご家族が、走るという光栄と特権を私に与えてくれました。私はただ、自分の言葉と約束を守ることができただけなのです。走る目的はメダルのためではありません。それは単なる金属の塊に過ぎないからです。しかし、約束を果たし、レースを体感した時、その金属の塊の意味だけでなく、世界の見え方そのものが変わります。私たちは皆、永遠の我が家へと向かう旅の途中にいます。競い合っているのではなく、お互いを支え合うためにそこにいるのです。だからこそ、東京マラソンのキャッチコピーである「東京がひとつになる日。」という言葉は、私にとって大きな意味を持っています。
走り終えた今、東京マラソンはあなたにとってどんな存在になりましたか?
東京での日々は、果たされるべき約束が形になったものでした。これまでの歩みの集大成であり、彼が旅立った後、その志を故郷である日本の地で受け継ぐという誉れ高い機会でもありました。間違いなく、私にとって最高のレース体験の一つです!
今回の経験を一言で表すと?
東京が教えてくれたのは、自分の内面を見つめると、いかに自分がちっぽけな存在であるかに気づかされますが、外の世界に目を向ければ、自分がいかに大きな可能性を秘めているかがわかる、ということです。それは、自分自身を発見する旅なのです!
東京マラソン2025 インタビューリレー
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