インタビューリレー

東京マラソンを通じて生まれたつながりのストーリー

難病の体を乗り越えて、最も遅くて一番嬉しい完走 ボランティア仲間とのつながりのストーリー

難病の体を乗り越えて、最も遅くて一番嬉しい完走 ボランティア仲間とのつながりのストーリー

「東京マラソンを通じて生まれた“人と人のつながり”のストーリー」をテーマにお届けするインタビューリレー 2nd Run。

今回は、ボランティア仲間からの声援や支えを「走る力」に変え、難病の体を乗り越えて東京マラソンを完走した、ひろさんの「ボランティア仲間とのつながりのストーリー」を紹介します。

「まだ走れるうちに、東京マラソンを完走したい」

私はこれまで、東京マラソンのボランティアを10回経験してきました。中でも最もやりがいを感じるのが給水です。特に30km地点、水天宮ブロックの給水には強い思い入れがあります。ランナーにとってしんどい距離である30km付近(29.2km浅草橋交差点)の関門を越えた直後、最初に現れる給水地点だからです。

2025大会では、その水天宮のスポーツドリンク1班のリーダーを任されました。ペアを組んだFさん、そして頼もしいメンバーに恵まれ、声を掛け合いながらランナーを支えた一日は、今でも忘れられません。

そんな私が、2026年はランナーとして走りたいと強く思ったのには理由があります。2024年の夏、手足が徐々に動かなくなる進行性の病気と診断されました。現在の医療では治療が難しい難病です。今はまだ走れますが、右手足の動きづらさは少しずつ進み、足を引きずるような走りになっています。

「まだ走れるうちに、東京マラソンを完走したい」

そう思って応募しましたが、一般抽選は4回すべて落選。それでも諦めきれずにいたところ、スポンサーイベントの抽選で出走権をいただき、エントリー最終日に申し込みました。

一つひとつの出会いに背中を押され

しかし、今の走力では関門閉鎖時刻に間に合わないかもしれない。

そこで私は一つの目標を立てました。それは、30kmの関門を越え、水天宮の給水にたどり着くこと。そこまで行けたら、その先は走れるところまで走ればいい。そう決めて、12月から週末に10km走る練習を続けました。

迎えた大会当日。気温は18度。想像以上の暑さの中、給水に助けられながら走り続けました。15km地点。昨年ペアを組んだFさんは、今年はここでスポーツドリンク1班のリーダーを務めています。1班のドリンクはすでに全部なくなっていましたが、Fさんがボランティアのメンバーと忙しく動く姿に心の中で手を振り、通過しました。

そして、目標としていた30km、水天宮の給水地点へ。ここでもスポーツドリンク1班のドリンクは全てなくなっていました。それでも、ボランティアの方々に手を振りながら「ありがとう」と伝えて通過しました。

沿道では、何人ものボランティア仲間にも出会いました。別の給水エリアで活動する仲間、そしてゴール直前の41km地点では、パンダ帽子で応援してくれている仲間とサプライズで再会。その一つひとつの出会いに背中を押され、私は走り続けることができました。

人と人とのつながりが「力」になる大会

そして――私は東京マラソンを完走しました。

タイムは3年前より1時間以上遅く、これまでで最も遅い記録でした。それでも、この完走は、これまでのどのフィニッシュよりも嬉しく、心に刻まれるものでした。

ボランティアとして支えてきた大会を、今度はランナーとして走り、そして仲間に支えられて完走する。東京マラソンは、人と人とのつながりが「力」になる大会でした。もしかすると、次はもう完走できないかもしれない。それでも――30kmの先で受け取った「つながり」は、これからの人生を走り続ける力になると信じています。

つながりがある限り、人は前を向いて走り続けることができる

東京マラソンという憧れの舞台で、ボランティアのサポートや沿道の応援に支えられて完走できた経験は、今の体調の中で私にとって大きな自信になりました。

それ以上に強く感じたのは、「人とのつながりが、自分の限界を越える力になる」ということです。走っている最中に交わす一言の声掛けや笑顔が、大きな励みになります。東京マラソンは、単に走る大会ではなく、人と人とのつながりを実感し、人生を前へ進める力になる場です。

東京マラソンは、人と人を結び、人生を前向きに変える力を持っていることに気づきました。人とのつながりがある限り、人は前を向いて走り続けることができる。これからも体が動く限り、走ること、そして支えることの両方を通じて、そのつながりを次へとつないでいきたいと考えています。

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