インタビューリレー
東京マラソンを通じて生まれたつながりのストーリー
止まってしまった私の時間を、再び動かしてくれた言葉 サラ・ホール選手とのつながりのストーリー

「東京マラソンを通じて生まれた“人と人のつながり”のストーリー」をテーマにお届けするインタビューリレー 2nd Run。
今回は、東京マラソン2026に出場したサラ・ホール選手がFacebookに投稿したメッセージに感銘を受け、自分の人生が大きく変わったというNicole Belnapさんのストーリーを紹介します。
東京マラソンが持つ真のパワーが宿ったメッセージ
彼女のFacebookの投稿が、私の人生を大きく変えました。わずか2つの段落に込められたメッセージ。そこに、東京マラソンが持つ真のパワーが宿っていました。
サラ・ホール選手のメッセージ(引用)
「先日、自分の中に残す『記憶のイメージ』は、自分で意図的に選べるんだということに気づきました。
2026年の東京マラソンを振り返る時、激しいハムストリングの痙攣で立ち止まってしまったこと、救護テントまでぎこちなく歩いたこと、フィニッシュ地点までの果てしない収容バスの道のりを思い出すこともできます。
でも、代わりにこんな記憶を残すこともできる。 自己ベストのペースを刻み、完璧にコントロールされた状態で走っていたあの数マイルのこと。見上げた超高層ビル、美しく整えられた路面、私たちを鼓舞してくれる沿道の笑顔。この瞬間に、この場所で、こうして走れていることがどれほど幸せなことかを感じていたあの時のこと。
そのイメージを心に焼き付けるために、そして皆さんにも同じように『良い記憶』を選んでほしいと願って、この投稿を残します。🩵」
東京マラソンを観戦し、SNSで大会を追いかける中で、私はサラ・ホール選手との「つながり」を感じました。そこにいたのは、一人の母親であり、ランナーであり、私の大好きなシューズメーカーと契約する研ぎ澄まされたエリートアスリートであり、そして夢と希望を抱いた一人のランナーとしての彼女の姿でした。
彼女の存在は、私の心の奥深くにある何かを揺さぶりました。それは東京という街、ランナーたち、そして「成功」と「挫折」という相反する感情すべてに、私を同時に結びつけてくれたのです。

「自分の中に残す記憶のイメージを、意図的に選びたい」
このストーリーが、なぜ私の心と深く繋がったのか。私は2018年2月25日、脳動脈瘤によって、人生最大の理解者であり応援団長でもあった夫・トレヴァーを亡くしました。あの瞬間、私の世界すべてが、激しい痙攣を起こして止まってしまったのです。
自分の人生という物語を抱えて生きていくこと。 記憶を「意図的に選ぶ」ということ。そして、最後まで「走り抜く(フィニッシュする)」ということ。
彼女の言葉は、止まってしまった私の時間を、再び動かしてくれました。
私個人を芯から変えてくれたもの、それは「あのレースの持つ力」であり、東京マラソンが宿している強さそのものでした。
私にとって何よりの救いとなったのは、サラ・ホール選手が、自分の走りを「感謝すべき機会」として捉えていたことです。たとえリタイアという結果であっても、彼女はそれを美しく素晴らしい経験として見ていました。「完璧に整えられた路面、私たちを鼓舞してくれる沿道の笑顔。この瞬間に、この場所で、こうして走れていることがどれほど幸せなことかを感じていたあの時のこと」という一節です。
彼女にそう思わせたのは、東京マラソンが持つパワーとエネルギーに他なりません。あの場所で準備をし、駆け抜けた時に彼女が感じた「喜び」の感情そのものなのです。
何よりも、私はこれまでのすべての深い悲しみ、失望の瞬間、ストレス、そして葛藤を抱えながら走りたいと思っています。そして彼女の言葉通り、「自分の中に残す記憶のイメージを、意図的に選びたい」のです。この言葉が、どれほど大きな力を秘めていることか。
痛みを認めつつも、あえて喜びの記憶を選び、そこにフォーカスしようとする私たち。
私は、その経験を分かち合いたいのです。
フィニッシュラインまで、一歩、また一歩と足を前に踏み出し続けるために。
一分一秒を慈しみ、楽しみ、その瞬間を誰かと分かち合う
今こうして皆さんと「つながり」、想いを「共有」できていること。それ自体が東京マラソンの持つメッセージであり、自分がどんな未来を描くかを「意図的に選ぶ」ということの現れなのだと感じています。
2018年3月3日のことでした。 葬儀のあと、私は一人でこっそりと墓地へ向かいました。ただ一人、大切なあの人と一緒にいたかったのです。 あの日、私ははっきりとこう考えていました。「いつか私がトレヴァーの隣に埋葬される時、参列した人たちは『彼女はどれほど彼を愛し、あの日から再会の日まで、ただひたすら彼を待ち続けて人生を過ごしたか』を語り合うだろう」と。
でも、それは彼が私に望む姿ではありませんでした。そして、私が子供たちに見せたい母の姿でもありませんでした。
それから8年。2026年3月3日、私は「意図的に」動き出し、彼への敬意を胸に前を向いています。
「自らの意志で、今この瞬間を精一杯生きる」ことは、亡き人への愛を少しも損なうものではないと学びました。先に旅立った人たちは、自分の死によって、残された私たちが人生(生きること)から、肉体的にも精神的にも、そして魂までもが切り離されてしまうことなんて、決して望んでいないはずだから。
毎日、胸が痛むのは変わりません。……でも、私は自分に与えられた一分一秒を慈しみ、楽しんで生きることで、彼への愛を示すことができる。そして、その人生や瞬間を誰かと分かち合うこと……それこそが、私たちをつないでくれるのだと信じています。
「苦しみ続けること」は、亡くした人へ愛を伝える方法ではありません。「惨めな気持ちで過ごすこと」も、私たちに与えられた日々への感謝にはならないのです。……私たちは旅をし、笑い、幸せになり、そして「走る」ことができるんです!
人生は贈り物です。「どんな記憶を抱えて生きるか」を自分で選びながら、毎日を過ごせる幸せに感謝しています。
サラ・ホール選手が輝ける場所を用意してくれた東京マラソン、そして、シンプルで力強い言葉を届けてくれたことに感謝します。